責任の数だけ強くなれるよ、アスファルトに咲く花のように
僕が中学校の頃の話です。
学校に持って行くのを禁止されているマンガを、友達に貸すために持って行きました。
そして、貸したマンガを友達が休み時間に読み、先生に見つかり、没収されました。
「この漫画もってきたやつ、あとで職員室へ来なさい。」
僕は、先生に見つかった友達を恨めしく思いながら、職員室へ行きました。
「すみません、その漫画、僕のやつです。持ってきた責任は僕にあります。」
僕がそう言うと、先生は
「おまえさぁ、責任も取れないのに、軽々しく責任がある、なんて言うんじゃないよ。」
今でもはっきり覚えている、先生とのやり取りです。
さて、この時、中学生の僕には、どこまで責任があったのでしょうか?
そして、その責任の取り方、とは?
社会に出ると、責任論、というものにぶち当たります。
新卒のうちは、責任が軽く、役職が上がるほどに責任は重たくなります。
ただ、会社に属しているだけで、その会社の責任の一端をになっているというのは、新卒1年目も同じです。
責任は、人を育ててくれます。
自分は責任がない、と思って仕事に向き合う人と、自分には責任がある、と思って仕事に向き合う人では、結果に大きな差が出ると共に、成長にも差がでます。
そして、自分の責任、と自覚して努力した人の失敗に対して、会社や他の人は、思っている以上に寛容です。
人は年を重ねるごとに、責任、というものを重たく感じ、責任の少ない、楽な方に流れがちです。
それはすなわち、自分の成長を止めているということとも同意義です。
責任、若いうちから、どんどん取りに行きましょう。
自分の責任で、何かを任せてもらうように仕事をとってきましょう。
会社の業績、結果について、自分の出来る範囲での責任を感じましょう。(この範囲が広い人が、会社への貢献度の大きい人です。)
もちろん、僕も、政治やコロナのせいにせず、自分の責任で、経営をまっとうしていきます。